昭和四十七年七月三日


御理解第七十一節
「こゝへは信心の稽古をしに来るのである、良く稽古をして帰れ、夜夜中どういう事が無いとも限らぬ、おかげは我家で受けよ、子供がある者や日傭取りは出て来る譯に行かぬ、病人があったりすれば捨てゝおいて参ってくる事は出来ぬ、壮健な時こゝへ参って信心の稽古をしておけ」


信心の稽古をしておけと、私共が永年信心させて頂いておるのですけれども、一生懸命お参りもさせて頂いた、御用もさせて頂いた。そういう私の信者時代の信心の稽古というのは、どこに焦点があったかと。
 私昨日、昨年青年教師の方達にお話しました、それが本になって参りました、丁度昨日、私が生まれる前後の事から、幼年時代の事から、それから青年期に入って、お商売をさせて頂いて、それから北京に行って 兵隊に行って帰らせて頂いて、闇商売をさせて頂いて、というところで第一日目が終っとります。
 それをずっと読ませて頂いて、信心しよってこげなこつでよいじゃろうか、という事ばあっかりなんです、こゝ迄は例えて云うなら十銭のものなら、十一銭で売る事の方がおかげだと、そんな風な行き方しかしてない訳です。けれどもそのいつの場合でも、一生懸命である事だけは間違いが無い、そのかわり儲かっただけは、そのまゝ神様にお供えすると、それはまあ あんまり腹は痛みませんよね十銭のものを十一銭で売るのですから、一銭お供えするのだったら自分の身にひとっつもひびいとらん、それでもね、矢張り一生懸命であった時代 おかげを受けておるという事です。
 又置いた物取るような闇商売の時代の、一年間の話なんか、もう本当に置いた物取るようなおかげを頂いたです、もう只不思議の連続、例えば私が、福岡に出て同じ商売をするなら、とても久留米辺りでは駄目だ、やっぱり何と云うても九州では福岡だ、というところから福岡へ出て、もうそれこそお道の教師の方が、昔布教に出られる時に、只お社を背中に担いで、そして何日分かの食料か、わずかばかりの金を持って布教に出られる、といったような、そういうひとつの勢いというものが、あっております事ですね、云うならいつも背水の陣が敷いてあるという事。
 福岡の教会に参りまして、福岡の親先生との対話があります。今日は親先生、こゝでお通夜をさせて頂きますから、と、まず家をさがさにゃならん、商売すると云うても資本を持って行っとる訳じゃないのですから、その闇商売の少しばっかりの見本を、貰うか借るかして、それを売って歩こうかと云うような気持ちで、福岡に出て来ておるのですから。
 ところが大坪さんお道の信心には、お通夜てんなんてんなかばいと、もう剣もほろゝの言い方でした。私共の親奥さまのお里の事ですから、云うなら親戚の教会の信者が来とるけん、少しぐらいサ―ビスしてもらおうと思ったんです、そういう甘えた気持があった。だからもう、とりつくしまが無い、けれども思うたんですねえ、そんな御祈念をし通すだけならよかろうと、こう私が思うたんです。だからあゝそうですかと云うて下らして頂いて、もう兎に角御祈念をし続けました。もう夜の十時頃でしたでしょうかねえ、あそこは全部しまります、もう御神前のこゝのところに幕がありますが、その幕をもうしまってしまいました。それでも私はそこで一生懸命、御祈念しとる訳です、そういう時、もう一時過ぎだったでしょう、ちょっと御祈念を終らせて頂いたら、幕のかげから親先生が顔を出してから、手招きしよんなさいますですもん、もうびっくり致しました。「大坪さん早う寝らじゃ、こゝに床とっとるけん早う寝なさい」と云われる訳です。
 もう本当に、つれない仕打ちだなあ、まちった、どうかと思うておったけれども、成程本当の事を教えようとしておられるのだと、それでいて、そんなら私が一時半迄御記念しておれば、やっぱりご自分も、幕は十時にひいてあるけれども、おそらく私が御記念してる間、親先生も矢張り、御神前で御記念しておって下さったんだ、そう思うて、もう本当に感激して、成程大教会に養子にでんみえられる先生だから、やっぱり違うなあと思うて、大事なところやらがお話になっておるところなんです。
 それで ひと晩そこで明かさせて頂きまして、あくる日は右に行って良いやら、左に行って良いやら分らんものですから、教会を出てから、すぐ東の方へ向いますと、すのこ町という所があります。焼け野原になってる中に、ポツンポツンと小屋が立っている時代でしたが。ある一軒に寄らして頂いて、そこで御立九四郎という方との出会いになり、その人が闇の親分のような方でしたが、その方が商品見本も貸して下さり、それから自分所にある小屋の中に入っとる、当時、宮田製の自転車、それも私に貸して下さり、貸して下さると云うより、もう持って行けと云われるのですよね、それが私は全然お金が無いのですよね、自転車を買う金が、「実はのどから手が出る程に欲しいのですけれど、実は本当に私は裸一貫で、久留米の方から出て来とるとですけん、見本だけ貸して頂いて、売りますから」という事でしたけれども「そげんあゝた福岡の町ば歩いてばし歩くの、まあ兎に角自転車が入っとるけん、見て来てごらん、乗られるかどうかを」と云われるから、出してきたら立派な宮田製の朝日という自転車、中古ではありましたけれども、まあその時分では五、六千円はするだろうと思われる位な自転車でございました。「そんなら御立さん三日間待って下さい」それは教会をひと晩泊まって、あくる日博多の町に初めて商売に出た、朝の出来事なんですですから、そんなら兎に角私が、三日間待って下さい、と云うて三日目に、それは全部払うてしまいました。と云うように当時の事は秋永先生が一番良く知って居られますけれども、もうそれこそ置いた物を取るように、けれども、えげつない商売をしました。
 もうほんに詐欺の一歩手前というような、昔の その当時の闇商売というのは、又それでなかったら出来ないのですから、もうこれ以上の嘘は云われるじゃろうかといったような、それでもですね、おかげを受けたと云う事です。そういうような私の幼年時代から、少年時代、又は青年時代に入って引き揚げて帰って、そういう商売をさせて頂いたところ迄、話しておる中にです、もうそういう事が金光様の信心かと云われたら、もうそれこそ、
 今日は恥部という事を頂くですねえ、もう金光教の信心は、そんな事かと云われたらもう、恥部を指摘されるようなものなんです。けれどもこの神さまは大きいですねえ、もうそんな事問題なしに、只氏子の一心を持って縋れば、おかげを下さって時代のところが、第一日目で終っとります。
 まあ云うなら、合楽の前夜とでも申しましょうか、合楽の前奏曲というところで今日は終ります。明日からは私の信心を語ると云うて終っとる、ですから折角信心させて頂くのでございますから、私が第一日目にお話をしておるようなです、只がむしゃらに一心に縋れば、云うなら背水の陣をしくような思いで縋れば、神様は確かにおかげを下さるんだけれどもです、おかげを頂いただけで、そんならそこに良いものは生まれていないという事です。
 まあこれは男女関係で云うならば、もうそれこそ熱烈な恋愛時代にすぎないのです、決して良いものは生まれておらん、だから第二日目に入って、初めてその、神様との結婚といったような事になって、それから神様との交流が始まるようになって、そこから段々生まれてきておるのがこゝの御教えなんです。
 もうそれからは、御教え一点張りです、御理解一点張りです、しかもその御理解を、かく行じ、かくおかげを受けたと云うお話に、二日目はなってくる訳です、
 ですから、同じ信心の稽古をさせて頂くでも、私が何十年間続けてきた信心はもう、私一人で結構なんです、云うなら、私が第一日目にお話しとるような それは成程おかげを頂いて、けれどもそれはおかげにすぎないから、又消えた、私はそういう事で終っておる信者が、どの位あるか分らん、それは云うなら、金光教の恥部と云うても良い位、ですからそんなら金光教の信心とは、かく信心すれば、かく力が受けられる、お徳が受けられる、おかげが受けられると云うところに入ってこないかぎりね、それが仲々ね、それだけの事なんですけれども、そんなら教えに本気で取り組むという事の、まあ至難さと云うかねえ、それは何故至難かと云うと、私共に、もうガンのようなめぐりが、こびりついておるからです。
 我情我欲というガンが、こびりついておるからです、神様との交流が始まる、もうそれこそ食べることも、飲む事も寝る事も、又起きる事も、御神意のまゝに始まるという時代が、これから始まる訳です。ですから、そこの辺のところからです、合楽では皆さん稽古して頂かねば、本当に金光教の信者として、恥ずかしい事になるのです。昨日公子さんが、午後の奉仕の時出て来ました。
 学校時代の友達から、手紙が来とります、本当に学校時代勉強させた頂いた時には、もうそれこそ、みんな沢山な人のある中で、何やらかにやら分らんなりに、一年間の卒業させてもろうて、先生の資格をとらせて頂いて、何とはなしに信心が分かったような気であった、けれども愈自分の教会に帰って来たら、なあにもならなかった事に気が付いとります、何かひと言でも良いから、そちらの親先生のお言葉を頂いて、何か私の今の心の中に与えて頂くものはないだろうか、と云う切々とした信心の悩みを打ち明けて来ておる訳です。それを私、信じておってどうしてこのような、心の状態が起るだろうかと云う事に対して、その手紙の裏に私が書かせて頂いた。私が頂きますのは、この吸い取り紙ですね、これを頂くのです。
 ですから例えば、普通の紙だったら、こんなに汚れやしません、吸い取りもしません、けれどもこれが吸い取り紙だったら、吸い取ってしまう、だからこれ自体は汚くなる訳です、けれども吸い取ってやれるという力を持っているのです。
 それで私が、不毛の地と云われる所がある、不毛の地と云うのはどんなに種を蒔いても、絶対芽も出らんというような土地を、不毛の地と云う。
 不毛の地にならばです、種を蒔いてもいわゆる芽も切らんようにです、例えば雑草でも、それこそ生い繁る程に繁る土地であるならばね、必ず良いものも又育つんだという意味の事を書いた、もう自分の心の中に雑草がね、もう兎に角信心しておって、お道の教師としておかげ頂いて、ごげなこつでよかだろうかと思うような心が、次から次と起ってくると云う事です。
 それは云うならば、素晴らしい感受性があるからです、けれども今のところでは、雑草がしこっとる、もう手の付けようがない程にある、けれども雑草が生えるという事は、不毛の地ではないと云うしるしなのだ。そこでその根気よくとらせて頂いて、喜びの種を蒔くなら、必ず喜びの芽も、又は花も咲くだろう、という事を書いてやった。そしたら今度は、自分自身の事をお届けするのです。
 まあ今日は、云うなら公子さんの恥部を、これは皆さんもご承知の事だから申しますけれども、もう親先生どうにも出来ないと、それこそ泣きの涙でお届けをするのです。
 実は先生、今日も勝手の方で兄弟喧嘩をしたと云うのです、もう考えて見ると、姉ちゃん済みませんと、手ついてお詫びせんならんごたる事を、云うたりしたり、私はせにゃおられない状態と云う事がです、どうにもこうにも出来ん。
 ところが今書いてやったのを、見せて頂いてです、そういうものがあると云う事も、そんならばそれが取り除かれたならば、そういう良いものが又生まれる私だと、その友達の手紙に私が書いてやった事から気付いて、そして、その次のお届けをするのです。
昨日、重子姉さんが一日、まるしょうの御用で来とりました、もうそれに対して、もうそれこそ、それで私は公子さんに申しました。も姉ちゃんには本当にそげん云おうごたる時にはね、あそこの 力君と泰朗君がおろうが、もうほんに、こあいらしゅうして こたえんとがおるけん、こあいらしゅうしてこたえん甥の事を思わんねと私が申しました。
 そしたら親先生、本当に可愛らしいて日頃は、あの二人が、ところがもうそれこそ、坊主憎けりゃ袈裟憎かでね、私はそういう時にね、泰朗と力が憎うなるとですけん、どんこん仕様がない、と云うて嘆くんですよ、こゝで、どうにも出来ないものなんです。
 ほんに公ちゃんあゝたがごと、本当にある意味では素晴らしい、気の利いたおなごが、どうしてそこんところが出来んね、と だから云う位だけれども、公子さんあんただけじゃなかばい、こゝに修行しとる皆んながそう、そんなら私もそうだと、けれども私はそこんところをね、本気でね、切り取るは難し、されど妙賀哉というようにです、もうこれを切り取る事は、大変に難しい事なんだけれどもです、それを切り取らせて頂いた。それを私はね、妙賀が欲しいんだ、賀びの妙に触れたいのだ、もうそれこそ、一生懸命切り取らせて頂いたら後は、もう本当にこんな楽な事があろうかと、思う位に楽になった。と云うて、そんなら今無いかと云うと、今でも公ちゃんあるよと、けれどもね、矢張りそれに取り組まなければいけない、お互いのそんなら、信心の恥部と云う事をです、思うて見たら公ちゃんあたりのように表れるのはまだいゝです。
 けれどもうちにこもって表れないのがある、だから人は分からんです、かくしきって、もう本当にどうにも出きん、めぐりと云うか業と云うか、もうどうにも仕様がない、何時間後に考えて見ると、どうしてあげな事を云うたじゃろうかという事を、平気で云ったりしたりしておると云う事、私の心の中に、可愛うしてたまらん、そんなら甥達迄がです、坊主憎けりゃ袈裟憎か「姐ちゃんあゝたがそげん云うなら私は泰朗を叩くよ」と、昨日は申しましたと云うんです。だから私が「泰郎君やら力君やらの、可愛い子供なりの信心の姿に触れたら、姐ちゃんに云う事もやおうなりゃせんか」と、ところがそげな段じゃない、坊主憎けりゃ袈裟憎かで、甥達迄が憎うなるとこう云う、もう本当に不思議で不思議でたまらんのですよ、この人の日頃の信心修行の、もう今なんか晩やすみません、もう一晩中こゝで御祈念し通しとるです。
 それは本当に助かりたいのですよ、やはり。だから人の真似の出来んごたる修行も、一生懸命しよるです。けれども、どうにも出来ないものがある、だからこれがある限り、自分がおかげ頂く筈ないと云う事も分かっとるけれども、もう人前もはヾからんで出さにゃおられんごとなってくる。いわゆる恥かしいところを出してしまうと、こう云う訳なんです。
 私はそんなら今日、公子さんを例にとりましたけれども、お互いがそうなんです。だから二日目からはね、そこのところに取り組む事なんです。いわゆる御理解の全てがね、結局和賀心を目指すという事なんですから、合楽の場合。
 そんならその和賀心というものと、似ても似つかぬ事になったり又それを生涯邪魔をする心というものがです、ある限り、和賀心は出来ては消え、出来ては消えと云う事になる。
 私はこゝでは、只一生懸命信心の稽古をしておけば、まさかの時に家でおかげを受けられる、というおかげを、私か今日お話を申しました、この本の中にあります、私の第一日目のお話だけではです成程一生懸命の信心もさせて頂いた。又事実まさかの時のおかげも受けてきた。けれどもそういう信心はです、なんにもよいものが生みなされてはいないと云う事、だから馬鹿らしいです、やっぱり本気で教えに取り組まなければ。
 そしてその教えが段々身についてくるところの、おかげになってこなければならない。もう四、五日前でした、私が出かけようとしておるところに、熊本からと云うて、夫婦で参って見えられました是非私にお取り次頂きたいと、以前 椛目の時代に参って来ておった、熊本の或る教会の御信者さんなんです。総代をしておられます奥さんは婦人会長をしておられます。
 ところが息子さんが十年前に、バ―かキャバレ―に勤めとる女の人と、心やすうなって、それをもうそん時も、大変おかげを頂いてまあ、それで手が切れたと思いよったら、先生十年後の今日、まあだつき合いよる事が分かりました。つき合いよるだけじゃございません、私の家の屋敷を、知らん間に抵当にしてから、八百万かけてからドライブインのような事を、熊本市外の方で始めとる。
 しかも先生あなた、その女が中心でありますと同時に、その人の叔父さんが支配人、コックから使用人に至るまでが、その女の身内の者ばあっかりでございますと云う、とてもそれが分かった時にもう、夫婦で晩寝られない、これは例えば、つまらなかったら倒れるそんなら繁昌したところで、ガバ―ッと向うの親戚の方にとられてしまう、と思うたら、夜もろくろく眠られんような心配でございますと こう云う。
 どうかひとつ その女と手が切れて、言わば私の方の息子の権限になってしまうようなお店に、そんならしてしまわなければならんと、そしたらね、私はそれ聞かして頂きよりましたら、頂く事がかたつむりを頂くんですよ、そのかたつむりを頂いてから、そして、「つの出せ目を出せ 頭を出せ」と頂くのですよ、そしてそのかたつむりが、少しづゝ這うていくところなんです。それで私、それ聞き終ってしもうてから、ほんなこて、今お話を聞きよるとね、、どうした息子じゃろうかと云おうごとある、そん為に、それを隠し切らにゃならんもんじゃけん、その息子まで 私共の間にどうか溝が出来たようにして、私どんから、どうか云われやせんじゃろうかと思うてから、寄り付かないと云う訳です。
 それで私、聞き終ってしまってから、本当にそれは困った事のようにある、つまらん事のようにあるけれども、例えばね、お商売をさせて頂くと、今はもう人材という事が一番難しいですよ、話を聞きますとその支配人というのは、大変なやり手だそうです、その女の叔父さんに当る人、それにコックは腕のいゝのが、もう親戚だけで固めておると云うのですよね。ですから商売を始めてその人材を手になり足になる人達を集めるだけでも、大変な事なんだけれども親戚ですから、もうひとつに固まってしまう。それはだから皆んな一生懸命にやる訳です。
 こちらからそれを見ておると、危なうしてこたえんのですけれども、おかげを頂けばね、例えて云うならば、昔の息子の十年前の女に方のおかげでね、そういう素晴らしい商売が出来ておる、と云う事になるのじゃないかと。
 問題はどういう事かと云うと、自分とこの息子が矢張り、社長でだけはあるのだから、只その一切をやっておるのが、お手がけさんの親戚で固めとると云う事だけだから、おかげを頂いたらね、ひとっつも問題じゃない、そん為には角を出す事を止めなさい、という事でした。そして目が出れ頭が出れと祈りなさい、という事。
 そしてその店はね、少しづつじゃあるけれども、必ず伸びるて、かたつむり位じゃあるけれども、必ず伸びる。して見るとあんた達はもうほんな、安気安呑でなあにもせんなりにですたい、息子のお手がけさんのおかげで、云うならそういう大きなお商売が、出来ていきよるという事になるじゃないか、問題はひっかゝりさえせねばそこを神様に願うていけと。
 だから神様がお働き下さる事の為には、その角を出すなと云うのです、むしろ本当に息子が来たならです、もうお繰り合わせ頂いて繁昌のおかげ頂くごとお願いしよるばい、という位にしときなさいもうそしたらね、夫婦の者がもう本当に、私が出かけようとするちょっと前でしたから、もう一緒に出ましたがね、もう親先生、もう本当につきもんが落ちたごと安心しました。もう今夜からゆっくりやすまれる事でしょう。もう本当におかげさえ頂きゃよかとですねと云うて帰りました。
 ですからね、例えば今日の御理解から云うなら、本当に、角を出しちゃ出来んところに、角を出しよるという事がです、もうおかげの受けられない元になってしまって、いやそれはね、例えば私の第一日目の角を出してからでも、云うなら信心しよってそげなこつでよかじゃろうか、というような事でもです、おかげは受けるけれども、それでは生みなされてくるものが無い、そこに例えば思いがです、もう息子が、向うの親戚の人達がと云うて、もうそれこそ恨骨髄、しかも自分達の家屋敷まで抵当にしてしまって、八百万のお金で、親にひと言も云わずに始めておると云う事がです、只その事だけが腹の立つ事ばあっかり。
 自分達は無傷の、それこそ夢のごたる中にです、実を云うたらそういう商売をさせて頂いておる、しかもそれは少しずつではあるけれども、繁昌していくというのであるから。そういうね、例えば向うに野心があってもいゝじゃないか、少し位野心がなからにゃ、一生懸命になりゃせん、そんなら向うも立ち行き、こっちも立ち行くというような、おかげになる事を願いなさい。
 と云うようにです、私共は思いをかえさせて頂く、そういう稽古でなければいけんと思うです、信心の稽古は。只一生懸命参って拝みよります、そして一生懸命願いさえすりゃおかげになる、と云う時代は私の第一日目の、云うならば、成程恋愛感情は高ぶってきておりましょうけれども、それでは何にも云うならば、恋の悲しさ、喜びという事だけなのだ。そこに結婚と云う事に踏み切らせて頂ける、神様との交流が始まるという為には、そのガンがあっては交流なされん、だから信心の今日は稽古をね、こゝでは浅くも深くも頂ける所なのだ。だから私の第一日目のお話のような状態で、でもですよ、この御教えはピッタリくる訳なんです。
 日頃一生懸命、がむしゃらにお願いして、云うならば神様をゆり動かす、ひとつのコツあいといったようなものはです、さあ断食もする、水もかぶります、一生懸命お参りもします、儲かったらお供えもします。
 私は今日、洗面させて頂く時に、あじさいの花が入れてある、一本はしおれてから、たおれてしもうとる、一本もぐしゃっと葉がなっとる、ちょいと引き抜いて見たら全然水が入ってません、これは枯れるはずたいと云うてから、私は一本とがやゝ曲っとる位だったから水をさして、まあ水あげするだろうと思うて、させて頂いておりますが、今日ある方の事をお願いしておりましたらね、それを頂くのです、もう本当にその方はですねえ、大変な金儲けの名人で、もう本当に億のつく財産を、沢山残しておられる方なんです。
 それがね、例えば草花でも、引き抜いたらすぐ枯れるとね、水の中につかっとらんでちゃ、ひと晩位はまあだ生き生きしとるのがあります。だから信心はなかっても、金儲けの出来る人は沢山あるのです。だから五十年、百年位は、ほんに信心する者は馬鹿んごたる信心せんでちゃ、あげん儲け出さっしゃる所もあるという事です。けれども絶対続きません、何故って、お恵みの水と云うものが無しになさっとるとですもん、だからその人はあじさいのように、ちった性の強か、
 あじさいという事は、調和という事を頂きます、いわゆる天地との調和があっての、儲かりでなければおかげじゃない。家庭の中でもそうです、家庭の中の調和というものがあって、そんなら家、倉財産があって初めて、人間の幸せがある。
 そしたらね、今私の部屋に隈田先生が書かれた、「信心は御用なり、信心は力なり」という額がかゝっとる、それを頂くのです。
 だからこれは私の信心じゃないと思いますけれども、信心のひとつの過程と云うかね、そんなら私の第一日目のような行き方なんです、だからそういう例えば、今はお恵みはなくても、花は枯れていませんから、さあ又儲かった、儲かったでいきよんなさるだろうけれども、これは水が無いから必ず枯れる。
 そしたらね、色々頂いたんですけれども、私共のこの人間の五体というもの、手があるでしょう、手が届くだけのものならね、決して天地に対する御粗末、御無礼じゃない、手が届くところにあるものをとるだけなら、ところがその、ふみつぎをしてでも取ろうとする、そしたらそういうところの御心眼を頂いて、ふみつぎが倒れとるとです、それけん かむいのような所にぶら下っちゃる、それけん上をはなさんの、はなさんの、はなしゃよかがち云いよるけれども、もう離しきらんでおる訳です。
 そしてもう、きつうなったもんじゃけん、片一方の手がこう離れた、そしたらしまいには、こっちんとも迄、もう愈どんこん出来んごとなって、離した時に、もう五体の方がどうにも出来んようになって、バタッと倒れたところでした。
 そして今云うこゝの軸を頂くのですけれども、はゝあこういう人でもです、本当にお金の御用でもさせてもらう。放す、という事になったら、その頂いておる財産にね、云うならお恵み、調和が取れてくる、お恵みの水が頂ける程です。
 それは私のお話の、第一日目程度のところですけれども、心改まったからじゃないけれども、例えばこれを離す事によってです、御用が出来た事によって助かった、そういう例話はいくらもあります今日はそういうお知らせも頂いた。だからそれはそれぞれの過程ですから、御用すりゃ助かるという時代も、あっていゝと思うのですそれけん私はこれは、あながち、そんなら合楽の現在私が云っておる事ばっかりでは、やっぱそれとこれとが混じりながら、段々純粋な、合楽の現在行なっておるようなところに、移っていく稽古をさせてもらわにゃいけんなと、思いましたけれどもね。
 どうにも出来ない、自分の心のガンの場合もそうです、例えばそんなら、思い切った修行でもさせて頂くと云うか、事になってくると、そこが案外楽にね、ところが仲々話せない訳ですそれが、放せないうちに手がしびれてくる、片一方放れた、又片一方放れた時には、もう体の方がそれこそバタ―ッと、落ちて倒れるような落ち方しか出来ない事になる。
 大きな家の倒れていく時の姿を見てご覧なさい、その通り、どんこん仕様のなかけん、放していきよるとじゃけん、しまい方には放してしもうた時には、自分の方がもう駄目になっておるといったような事。そういう稽古も、今日の七十一節の手前のところの稽古、という事になるでしょう、そしてそんならこゝでは、そういう事は仰っておられませんけれども、愈その稽古の焦点というものが、改まるという事にあり、自分の本当に恥かしい心の状態のところに、取り組ませて頂いて、そこから教えを頂き、そこから神様と交流する事になってき、そこから産みなされてくるもの、それが本当の力であり、お徳である。
 だから願いたい、又頂きたいのは、そこなのですよね。
                         どうぞ